
海にその生命の源を持ち、長い時間をかけて、陸の生物となった
人類が再び海に潜留ためには、おおきな工夫が必要でした。
潜水の歴史は、この工夫の歴史といっても過言ではありません。
最初の潜水がいつ行われたのか、資料は残っていませんが、太古の昔から、「素潜り」が行われていたことは、
事実であります。
おそらく、食糧確保のために魚や、貝などを採取を目的としたものと思われる。
我が国においても「魏志倭人伝」、「古事記」、「日本書紀」など、学生時代に習った書物にも、水中活動による魚などの採取の記録があります。
また、万葉集にも海女(あま)の活動を歌ったものが多数あります。
海外においては、ギリシャの歴史家、ヘロドトス(紀元前485年頃〜紀元前425年頃)や、ツキデイデイス(紀元前460年頃〜紀元前400年頃)
の書物に水中か移動の記録が残っています。
また、ローマの兵士が、葦の茎を呼吸管として使ったとも伝えられている。
いずれにしても、この頃のものは、実際に使用されたものなのか、想像上のことなのか、わからないことも多い。
しかし、植物の茎を水面上に出して、水中から空気を呼吸する方法は、我が国の「忍者」の例でも見られるが、実用的ではない。
その後の潜水機の開発は、一挙に16世紀にまで、飛ぶことになる。
この頃に考えられたものは、スノーケルを太くしたり、長くするなどと言った発想が多い。
実際、スノーケルに水中での呼吸は、水圧との関係で30pが限界で、こうした器具は、ごく浅い水中での使用に限られたものと思われます。
また、実際の水中作業に使われたものとして、ダイビング・ベルというものがある。
これは、釣り鐘(Bell)を水中に入れていくと内部に水深に応じた圧力の空気が得られるため、色々なものが作られた。
ハレー彗星にその名を残した、エドモンド・ハレーは、1690年にテムズ川での作業にこのダイビング・ベルを使用しています。
このときには、内部の空気の汚れを防ぐため、木樽を使用して、
1788年には、ジョン・スミスが潜水ベルの頂部に空気ぽん卯をつけたものを考案し、これによって
機械による高圧空気を使った潜水ができるようになった。
この後、ヘルメット式、スキューバなどの潜水機材が開発され、現在に至る。
我が国は、1857年徳川末期に長崎におけるドック築造に際し、はじめて潜水機が用いられている。
また、1867年には、イギリス船の船底修理に日本人のダイバーが従事し、これが、潜水夫の第一号といわれている。
この後の日本人による潜水は、第一次大戦時に地中海で沈没した八阪丸からの近海の引き上げの成功(1913年)で、世界の注目を浴びたことがある。
1943年にジャック・イブ・クストーとエミール・ガニャンは、自給気潜水器(解放式)に必要な自動式の呼吸装置(デマンド・レギュレーター)を開発。
第2次大戦後に「アクア・ラング」という商品名で急速に広まり、スキューバ・ダイビングがレジャー化するに当たり、大きな役割を果たした、といわれている。
1947年には、日本にも輸入されている。
このように、潜水器材の開発が進んできたが、日本でのレジャー・ダイビングの始まりは、駐留していたアメリカの軍人たちが、スキューバ潜水器を使って、ダイビングを始めたのが、きっかけと言われている。
1950年代前半になると、レジャーダイビングが国内に普及し始め、また、潜水器材も次第に開発が進み、より身近になっていく。
JAMSTEC 山田 稔氏による海人のビューポートに、我が国における潜水技術の発展やその他の歴史について、詳しくかかれている。